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独立してから、「徳」という言葉に出会い続けた
会社員の頃の私は、「徳」という言葉を意識したことがほとんどありませんでした。それが独立してからは、不思議なくらい、この言葉と出会い続けることになります。
知覧の富屋旅館でいただいたお話。アニキのご友人である伊木ヒロシさんのYouTube。永松茂久さんの著書。中村文昭さんのYouTube。本田晃一さんの著書。それから、詐欺被害に遭った時に複数の方からいただいた「田中さんの人徳があるからですよ」という言葉。
自分から追いかけていたつもりはないのに、向こうから何度もやってくるんです。これはもう、ちゃんと学びなさいということなのかもしれないな。そう思っていた頃、本田晃一さんが「徳の学校」を開講することを知りました。受講生はみんな本田さんを「こうちゃん」と呼んでいます。オンラインで月に1回、半年間。こうちゃんが「問い」を立てて、受講生同士がグループで話し合う対話形式の学校です。私は第1期生として受講を決めました。
正直に言うと、「第1期生なら、こうちゃんと直接お話しするときのインパクトが強いだろうな」という下心もありました。私はそのくらいの人間です。でも、その下心ごと抱えて動いてみたら、思ってもみなかった気づきが待っていました。
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「ゴミ拾いは楽しかったのに」——こうちゃんへの質問
ある回のセミナーで、「徳の高い人はなぜ楽しそうなのか?」という問いが立てられました。
私には、どうしても聞いてみたいことがありました。
「ゴミ拾いをしていた時期は、楽しかったんです。でも、取引先から頼まれてしんどい思いをしたこともあります。この違いは何なのでしょうか?」
同じ「人のためにやること」なのに、楽しい時としんどい時がある。ずっと引っかかっていた疑問でした。
こうちゃんの答えは、こうでした。
「つらい、しんどいと思っていたのは、『自分に余裕がなかった』ということかもしれないよね。そういうときは、無理をしなくていいんです。むしろ、余裕がない状態でも徳を積もうと試みた自分に、『えらい!』って褒めてあげてください」
私は画面の前で、心の中で叫んでいました。
(うわぁぁぁ! 今までの自分、えらい!)
しんどかったあの時の自分は、ダメだったんじゃなくて、余裕がなかっただけだった。そう思えた瞬間、胸のつかえがすっと下りた気がしました。
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「やってあげた」と「喜んでくれたらいいな」
こうちゃんの言葉をきっかけに、過去の自分の行いをひとつずつ振り返ってみました。すると、きれいに2種類に分かれることに気づいたんです。分かれ目は、見返りを求めていたかどうかでした。
余裕がない時の施しは、「やってあげた」になっていました。「やってあげた」の裏側には、見返りを求める気持ちが貼り付いています。第一部でお話しした、無料でお貸しした製品の蓋を開けられた一件が、まさにそうだったと思います。独立して間もない、余裕のない時期でした。善意は本物だったつもりですが、どこかで「貸してあげた」になっていたのかもしれません。最近も、精一杯考えた提案が実らなかった見積りがあって、「あんなに考えたのに」という気持ちが顔を出しました。余裕がない時のGiveは、返ってこなかった瞬間に恨みに変わりそうになるんです。
余裕がある時の施しは、「喜んでくれたらいいな」になっていました。喜んでもらえたらそれで完結するので、返ってこなくても何も減りません。
ゴミ拾いが、そうでした。意外に思われるかもしれません。あの頃の私は預金残高500円のどん底を経験した直後で、経済的な余裕はまったくなかったからです。ただ、振り返って気づいたことがあります。当時の私はセルフイメージがどん底まで下がっていて、道で挨拶が返ってくるだけで嬉しかったんです。「ありがとう」の一言で十分お釣りが来る状態でした。期待の水位が低かったぶん、心には余白がたっぷりあった。余裕って、お金の量そのものではないみたいなんです。
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余裕がないときは、積まなくていい
徳の学校でいただいた振り返りの資料に、こんな一文がありました。
「余裕がなく、安心安全を感じられない状態で『徳を積まなくちゃ!』と思うと、必ず自分責めになる」
本当にその通りだと思います。「いいことをしなければ」と義務にした瞬間、できなかった日の自分を責め始めてしまうんですよね。それでは本末転倒です。
だから、この章で一番お伝えしたいのは「徳を積みましょう」ではなくて、「まず、自分の余裕に気づきましょう」です。余裕がある時だけでいいんです。ない時は無理をしない。それでも余裕がないなりに何かをやろうとした自分がいたら、「えらい!」と褒めてあげてください。
私自身、これを意識するようになってから変わったことがいくつもあります。人に話しかけられやすくなりました。営業をしなくてもお仕事をいただけるようになりました。気が滅入ることが減って、何より、自分で自分を責める習慣がなくなりました。おまけに、他人の余裕にも目が向くようになって、きつい言い方をする人に出会っても「この方はいま、余裕がないのかもしれないな」と思えるようになったんです。
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余裕には、種類がある
もうひとつ気づいたのは、余裕には種類があるということです。お金の余裕もあれば、時間の余裕もあるし、人間関係の余裕というのもあります。
「余裕がない」とひとくくりにしてしまうと、打ち手がなかなか見えません。「いま足りていないのはお金なのか、時間なのか、人とのつながりなのか」と分けて眺めてみると、何を整えればいいかが少し見えてくると思うんです。
そこで、この章の終わりに、小さな振り返りをひとつご提案させてください。
- 最近、つい発してしまった言葉や、取ってしまった態度を、ひとつ思い出してみてください。
- 「あれが出たのは、余裕がなかったからかもしれない」と思えたら、それはどの余裕だったでしょうか。お金? 時間? 人間関係?
- もし余裕があったなら、あの時、何と声を掛けていたと思いますか?
責めるためではなく、気づくための振り返りです。「あの時の自分は余裕がなかったんだな」と分かるだけで、次に同じ場面が来た時が、少し変わるかもしれません。徳を積むのは、その後で大丈夫です。
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ちなみに、徳の学校ではこんな「問い」もいただきました。徳の高い人の判断基準です。
天が喜ぶだろうか。まわりの人が喜ぶだろうか。心があたたかくなるだろうか。長く信頼が育つだろうか。まわりも喜ぶ道だろうか。
私はこの問いを自分の仕事や生活に当てはめていて、目標を決める時には「日本を守ってきた先輩たちに胸を張れるか」と考えるようになりました。知覧で泣いたあの日と、ここで繋がった気がしています。
次の章では、この「余裕」を土台にして、今日から一番手軽に始められる実践の話をします。発する言葉を、少しだけ変えてみるという話です。
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