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肥大したプライドと他責の日々
私は博士号を取ったあと、新卒でロボットベンチャーに入りました。でも、1年で辞めました。その後、誰もが知る大手メーカーのソニーに入って1年足らずで辞め、東京大学の研究員も半年と続かず、また別のロボットベンチャーに入って、そこも1年で辞めました。4年間で、4カ所を転々としたことになります。
当時の私は、先輩や同僚の仕事のクオリティにいつも不満を持っていました。「もっといいやり方があるのに」「私の意見は全く聞かずに話が進んでいく」。そういう状況に耐えられなかったんです。
いま振り返るとかなり恥ずかしいのですが、当時の私は、無意識に周りを下に見ていました。「博士」という肩書きと、名だたる組織にいた経歴が、私を傲慢にしていたんだと思います。「周りのレベルが低い」「もっと私に相応しい場所があるはずだ」と本気で思っていて、自分の周りで起きる不都合なことは全部「自分を理解できない周りのせい」にしていました。
そんな態度は、まわりに伝わってしまうものなんですね。冷ややかな反応になって自分に返ってきて、どこに行っても、私の居場所はありませんでした。
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預金残高500円と、交通整理のアルバイト
どこにも居場所を見つけられなかった私は、「一人なら誰にも文句を言われない」という逃げの理由で、個人事業主として開業しました。
ただ、現実は甘くなかったです。短い期間に転職と引っ越しを繰り返したせいで、資金はもう底をつきかけていました。社会保険の給付金を受け取りながら、私は自宅で自分のロボット作りに没頭しました。「自分にはこんなすごいロボットが作れるんだぞ」とアピールするためです。
毎月の給付金から家賃と生活費とロボットの製作費を出す、カツカツの生活でした。クレジットカード会社からは毎月のように「残高不足」の通知が届きました。それでも私は、「これまでの職場の人たちが私を理解してくれなかったから、こんな惨めな思いをしているんだ」と、まだ人のせいにしていました。
そんなある日、急な出費が重なって、ATMで見た預金残高が「500円台」になっていました。32歳でした。
「俺、何やってるんだろ……」
さすがに焦りました。とにかく今日を生きるお金を稼がなければいけない。気がつくと、震える手で交通整理のアルバイト求人に電話をかけていました。面接の日程が決まって電話を切った直後、猛烈な虚しさが込み上げてきたんです。博士号を取って、ソニーや東大にまでいたのに、俺は何をやってるんだろう、と。
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「自責」へのパラダイムシフト
その時、自分の中で何かが弾けました。何かがおかしい。変わらなければ。
私はすぐに、交通整理のアルバイトの面接を辞退する電話を入れました。その直後、初めて、本当に初めて、ある考えが頭をよぎったんです。
「これって……全部、自分のせいなんじゃないか?」
同期の友人やかつての同僚たちは、会社員として立派にやっていました。家族を持って、幸せそうに見えました。預金残高500円で部屋に引きこもっている自分と比べたとき、どちらを目指したかったのかは明らかでした。
私は、ただのわがままだったんです。仕事の仕方も、人との接し方も、全部が自分本位で、相手への配慮が1ミリもありませんでした。自分のやり方でここまでダメだったのなら、もう変わるしかない。心の底からそう思いました。
同時に、「誰かに頼りたい。頼らないと生きていけない」と素直に思えました。人に頭を下げるのを恥ずかしいと思っていたちっぽけなプライドは、もう跡形もなくなっていました。
そこからは必死でした。なりふり構わず自己啓発系の本を読み、YouTubeで成功者のインタビュー動画を、すがるような気持ちで見続けました。振り返ると、傲慢だった自分はあの日に終わって、地道な一歩目がやっと始まったんだと思います。