第4章 — 会いに行く、かわいがられる

夜中3時の助言

1回目のバリ島訪問の最終日、私たちは滞在していたリゾート地から、アニキのご自宅に戻ってきていました。

時刻は夜中の3時。私は焦っていました。法人を設立したばかりなのに、この先の方向がまだ見えていない。この旅で何かを掴んで帰らなければ。何か聞かなければ。でも、何て聞けばいいのか。

そこへ、自室から戻ってきたアニキが、私の隣に座りました。眉毛が、ぴくぴくと動いていました。

「あ、あにき! し、質問してもよいでしょうか?」

「なんや、まだあるんか」

私は必死で、言葉を絞り出しました。

「今の私に必要なことは、何でしょうか」

アニキの答えは、即答でした。

「疎遠になっている人に、会いに行け」

にやりと笑って、それだけでした。理由の説明も補足もなし。夜中の3時にいただいたその一言を、私は持ち帰ることになりました。

ちなみにこの日は、たまたま私の誕生日でした。日程の偶然なのですが、朝5時にはアニキの秘書の方々がオンラインサロンの動画に私の映るカットを入れて編集してくださっていて、キッチンではビールと珍味をご馳走になりました。試されごとに応えられなかった未熟な私にも、この旅は最後まで温かかったです。

10年、疎遠だった先輩

疎遠になっている人。真っ先に顔が浮かぶ方がいました。

大学院時代の先輩です。当時、研究の議論がヒートアップして言い争いになり、そのまま気まずくなって、10年間連絡を取っていませんでした。

正直にお話しすると、この話には先を越された部分があります。実際には、先輩の方から先に連絡が来たんです。「研究室の手伝いをしてもらえないか」という内容でした。

では、アニキの助言はどこで効いたのか。行動の選び方です。用件だけなら、オンライン会議でも済む話でした。でも私は、先輩のいる大学まで直接会いに行くことを選びました。「疎遠になっている人に、会いに行け」。あの夜中3時の言葉が、背中を押していました。

お会いして、私はまず伝えました。

「あの時は、すみませんでした」

先輩は言ってくれました。

「こちらこそ。会えて良かった」

10年の気まずさが、ここで終わりました。

それから、先輩には本当にかわいがっていただくようになりました。食事や研究室の行事に誘っていただいて、学生さんたちとのキャンプにまで混ぜていただきました。技術の壁打ち相手としてのお仕事をいただいて、半年後には、ある案件の契約のお話までいただきました。

その案件は、諸事情を考えて金額にリスクを織り込んでお見積りした結果、ご縁がありませんでした。それでも先輩は、その後もキャンプに誘ってくださって、「巻き込んでしまったようで申し訳ない」とまで言ってくださいました。仕事になるかどうかの手前で、人としてのお付き合いが続いている。それが何より、ありがたいことだと思っています。

「会いに行く」は、それだけで伝わる

もうひとつ、実例があります。

展示会でご一緒した、技術コンサルタントの先輩がいました。私はその場で「事務所まで、挨拶に行っても良いですか?」とお聞きして、実際に訪問しました。特に用件があったわけではありません。ご挨拶だけです。

約1年後、その先輩から連絡が来ました。

「この製品、どうなるか分からないんだけど、やってみる?」

仕事の相談でした。

会いに行くと何が起きるのか。私なりの答えは、「この人は、ちゃんと行動できるやつだ」と思ってもらえる、です。口で「今度伺います」と言う人は大勢いますが、本当に来る人は少ない。実際に足を運んだという事実だけで、伝わるものがけっこうあるんだと思います。

マルチーズ理論

アニキを描いた書籍「出稼げば大富豪」(クロイワ・ショウ著)に、「マルチーズ理論」という教えが出てきます。犬のマルチーズのように、かわいがられる存在を意識してみる、という理論です。

初めて読んだ時は、正直ピンときませんでした。エンジニアとしての私は「実力で評価されたい」と思っていたからです。かわいがられるなんて、実力のない人のやることではないか、と。

いまは、こう理解しています。かわいがられる人というのは、「教えてください」「ありがとうございます」と素直に頭を下げられる人のことなんです。プライドを捨てられる人、と言ってもいいかもしれません。

第一部で、神戸の勉強会で出会った大先輩が手を差し伸べてくれたのは「独立して頑張っている後輩を応援したい」という気持ちだったのではないか、という話をしました。あれも、同じことだったのかもしれません。実力を大きく見せようとする人より、素直に「ありがとうございます」と言える人の方に、人は教えたくなるし、仕事を任せたくなる。かわいがられる力って、実力を見てもらうための入り口なんだと思います。

手土産は、要らなかった

会いに行く話とセットで、手土産の話もさせてください。

以前の私は、展示会で声を掛けていただいた方と次にお会いする時、手土産を用意していました。「仕事につなげられますように」という祈りも込めていました。

でも、ある時気づいたんです。相手は、手土産よりも欲しいものがあるから私に声を掛けてくださっている。だとしたら、私が差し出すべきなのは、お菓子の箱よりも仕事の成果です。

それどころか、手土産には危うさもあると思っています。「媚びを売られている」と受け取られたら、かえって軽く扱われる要因にもなりかねません。会いに行くこと、仕事で成果を出すこと。いまはこれが手土産の代わりだと思ってやっています。

ひとつだけ例外があります。打ち合わせ中の何気ない会話を覚えていて、「あそこのお店の〇〇がお好きだとおっしゃっていたので」とお渡しできるようなものなら、贈っても良いと思います。それは媚びではなくて、「覚えていてくれたんだ」という気配りが届くからです。

「便利なやつ」と「都合よく扱われる人」は違う

ここまで読んで、「会いに行って、頭を下げて、かわいがられて——それは都合よく使われる人にならないか?」と思われた方がいるかもしれません。大事な問いだと思います。

私の整理はこうです。「便利なやつ」は、人のために動く人。これは徳のある行動です。「都合よく扱われる人」は、軽く扱われる人。自分を脇に置いてしまっている人です。いわば「たわけ者」になってしまっている状態です。

じゃあ境界線はどこにあるのかというと、「余裕の範囲で行動しているかどうか」だと思うんです。

余裕の範囲で動いている限り、「ごめんなさい、今すこし動けなくて」と言えます。それが言える節度がお互いにあれば、長く一緒にいられます。逆に、余裕を超えて動き続けると、断れなくなって、軽く扱われ始めます。第一部でお話しした、無料で貸した製品の蓋を開けられた一件は、まさに私が自分を脇に置いてしまっていた時の話でした。

面白いことに、余裕の範囲で動けるようになると、軽く扱ってくる人に出会っても、腹を立てる前に「なぜこの方はそういう態度なんだろう。本質的な課題が他にあるんじゃないか?」と考えられるようになります。この辺りは、私もまだ勉強中です。生活を通して、深掘りしていきたいと思っています。

逆の立場で、考えてみてください

「疎遠になっている人に会いに行くなんて、気まずい」と感じる方も多いと思います。10年疎遠だった私も、そうでした。

そんな時は、逆の立場になってみてほしいんです。疎遠になっていた人からある日連絡が来たら、どう感じるでしょうか。「これだけ時間が経っているのに、自分のことを気に掛けてもらえている」。そう思うと、嬉しくなりませんか?

だから、手ぶらで大丈夫です。手土産も要りません。

さて、ここまで在り方の話が続きました。次の章では、もう少し生々しい話をします。お金の決断——値下げを頼まれた時と、受注が決まる前に400万円の仕入れを迫られた時の話です。


次の章へ → 第5章 — お金の決断

目次へ戻る