第3章 — 頼まれごとは、試されごと

知っているだけの言葉だった

「頼まれごとは試されごと」という言葉があります。私は中村文昭さんのYouTubeで、この言葉自体はずっと前から知っていました。ただ、知っていることと分かっていることは違うんですね。この言葉の意味を体で理解したのは、バリ島で、見事にチャンスを逃してからでした。

独立3年目、TEGAMI Roboticsを法人化した年の5月のことです。書籍とオンラインサロンで学んだ教えを実践して、人生が変わり始めていました。その成果と御礼を直接お伝えしたくて、私はバリ島に住むアニキのもとを訪ねました。第一部の第5章でお話しした、あの旅です。滞在先は、温泉のあるリゾート地でした。

モスコミュールの夜

ある日のディナーでのことです。アニキはメニューを眺めて、お店の方にこう言いました。

「なぁ、ハンバーグ定食できる? メニューにないけど、作ってや」

お店の方は戸惑いながらも、作ってきてくれました。「おぉ、うまいやん!」と嬉しそうに食べたアニキは、会計の時、多めに支払っていました。私はその時、「面白いことをする方だなぁ」くらいにしか思っていませんでした。

その夜のことです。くつろいでいると、アニキがぽつりと言いました。

「モスコミュール、飲みたいなぁ」

私は聞き流してしまいました。するとアニキは、もう一度言ったんです。

「なぁ、モスコミュールや。モスコミュール飲みたいなぁ」

私は、関西の方の冗談だと思いました。だから笑いながら、こう返したんです。

「ビールしかないですよぉ〜(笑)」

アニキは真顔になりました。眉が、ぴくぴくと動いていました。同席していた秘書のひろさんは、大爆笑していました。

私はその場では、何が起きたのか全く分かっていませんでした。

帰りの飛行機で気づいた

出国の日、私はアニキに買っていただいた「I Love Bali」のTシャツを着て空港へ向かいました。「そのTシャツ、出国手続きの兄ちゃん喜ぶぞ」と言われていたからです。

ところが実際の手続きの方は、不機嫌そうで、にこりともしません。あれ?と思いながら飛行機に乗り込んで、考え続けているうちに、はっとしました。

あのTシャツは、「誰かを喜ばせるんだぞ」というメッセージだったんじゃないか。だとしたら、俺はこの旅で、アニキを喜ばせようとしただろうか?

モスコミュールの夜が蘇ってきました。あれは「頼まれごと」だったんです。しかも、その数時間前に、アニキはお手本まで見せてくれていました。メニューにないハンバーグ定食を頼まれたお店の方は、戸惑いながらも応えて、アニキは多めに支払った。同じ晩に私は同じ試験を受けて、「ビールしかないですよぉ」と笑って流したわけです。

私はそれまで、「アニキから学ぼう」とアニキばかり見ていました。でも本当に学ぶべきだったのは、無茶ぶりに応えたお店の方だったんです。それに気づいた時の、帰りの飛行機の座席が沈み込むような感覚は、いまでも覚えています。

二度目の試されごと

その後、再びアニキのもとを訪ねる機会がありました。

ある食事の席に、オーストラリアからヨットで旅をしている方々が同席していました。英語が得意ではないアニキは、「ヘルメット!ヘルメットぉ!」と英単語を連呼しながら、身振り手振りで場を繋いでいました。そして、ふいに私に振ってきたんです。

「お前なんかないの? 英語できんちゃうの?」

心の中で叫びました。

(あ!!! きたぁぁぁ!!!)

今度は逃しませんでした。冷や汗をかきながらスマホで英語のなぞなぞを検索して、皆さんに出題しました。場は盛り上がって、アニキは「ふふん、やりおったな」という顔をしていました。

この滞在中、アニキは私の目の前でポンチ絵を描きながら、ロボット製品のアイデアと稼ぎ方をレクチャーしてくれました。あの夜「ビールしかないですよぉ」と笑って流した私のままだったら、届かなかったものだと思います。

正直に白状すると、1回目の訪問の時の私は、たとえあの場で意味に気づけていたとしても、動けなかったかもしれません。「恥ずかしい」「プライドが許さない」「自分がかわいい」。そういうものが、まだまだ自分の中にあったからです。2回目に動けたのは、その間に少しずつ、手放す練習をしてきたからだと思います。

「ここまでで良いのかな」と言われた日

この「頼まれごとは試されごと」が、仕事の一番苦しい場面で私を支えてくれたことがあります。

独立6年目、詐欺被害から3ヶ月ほど経った頃でした。私はある生産設備の自動化について、発注元のクライアントに助言する技術コンサルタントを務めていました。技術的にとても難しい案件で、開発を担うSIerに懸念を指摘しても聞き流されてしまい、クライアントもSIerの言葉に頷くばかり。私の言葉が届かない、なす術のない状況が続いていました。

そんな中、仲介業者を交えた三社のオンライン会議で、クライアントからこう言われました。

「ご協力いただけていない状況ですので、こちらとしては、一緒に仕事をするのはここまでで良いのかなと思っています」

真剣な面持ちの、きつい口調でした。「やはり、そうきたか」と思いつつ、予想はしていても、想定を超えたダメージを受けました。

ただ同時に、考えたんです。本当に契約を終わらせたいだけなら、仲介業者に伝えれば済む話です。わざわざ話し合いの場を設けて、私に直接きつい言葉をぶつけている。ということは、本当の意図は「もっと協力しろよ」、もっと言えば「もっと話を聞いてくれ」なんじゃないか。

頼まれごとの裏には、本音が隠れていることがあります。きつい言葉の形をした頼まれごとも、あるんだと思います。

私はその場で、「実は〇〇や〇〇といった課題があります。お気づきでしたか?」と、コンサルタントとしての提案を始めました。頭に浮かんでいたのは、アニキの「相手に自分の時間を費やすんや」という教えでした。無料で貸した製品の蓋を開けられた、あの一件のことも思い出していました。このままでは二の舞になる。そう直感して、私は週に1回、先方のオフィスへ足を運んで、数時間の打ち合わせをするようにしました。

いまでは週2回伺うことも多くなって、お互いのことが分かってきて、打ち合わせに笑顔が増えました。契約は2年目に続いて、ありがたいことに、別のお仕事の打診もいただいています。

頼まれごとは「喜ばせるチャンス」

いまの私は、頼まれごとが来ると「喜ばせるチャンスがきた!」と受け取ることにしています。

第一部でお話しした、夜8時に友人を帰らせてロボットを運んだ夜も、そうでした。少し前にも、「予算確保のためのプロジェクト公募のアイデアを一緒に考えてほしい」という依頼に、無報酬で1週間かけて、年間1億円規模の提案を作りました。結果は、あと一歩のところで採択には届きませんでした。それでも、頼んでくださったということは、試してくださっているということなので、ありがたいなと思っています。

ひとつだけ、第1章とつながる大事な注意があります。頼まれごとに応えるには、余裕が要ります。余裕がないのに無理に応えようとすると、「やってあげたのに」に変わってしまいます。応えられない時は、応えられない自分を許してあげてください。この線引きの話は、次の章の終わりでもう少し詳しくお話しします。

実はこの1回目のバリ島訪問の最終日の夜、私はアニキからもうひとつ、その後を変える言葉をいただいていました。

「疎遠になっている人に、会いに行け」

次の章は、この言葉の話からです。


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